なんでも無駄遣いって言われても
やることにいつも無駄遣いと言う姑。
昔はお祝いごとなんていうと記念写真をとったり親戚中をよんでお祝いをするなんて当たり前だった。
親戚の手前やらざるえなかったって感じですよね。
お金もかかりますよね。
今は自宅に人をよぶってことはないしお祝いはホントの近親者のみのスタイルが多い。
だから大切な日や大切な事を伝えれる機会って少ない。
そして子供の成長は早いし子育てに夢中になってるとあれどんな感じだったっけって忘れてしまう事もある。
だから大切な日は忘れないためにも記念写真をとっておきたい。
しばらくは見ないかもしれない。子供が将来見たいと思わないかもしれない。
だけど残しとかなかったらもし小さい頃の思い出を見返したい時に見ることはできないし後悔しか残らない。
今しかできないことをしているだけ。
1つ1つ思い出をきざんでる。
なのにそれが無駄遣いって言われる。
私の母親は持病持ちで親らしいことしてもらった記憶がなく今も関係は良くない。
人間だからいつどうなるかわからかい。
子供にできる時に出来ることしてあげたい。
それのどこが悪いのか。無駄遣いなのか。
なんでも無駄遣いなんて言われて育った旦那はお子様ランチすら欲しがらない子供だったよう。
やっぱり子供らしくのびのび育って欲しい。
青春にちゃんと青春しないと年取ったときに青春したくなる。それはホントにホントにある。
なんでも無駄遣いなんて育って欲しがらなかった旦那は今は欲しいものや姑が好まない食べ物でも好きなように食べてる。
子供の頃はいい子だったのに大人になったら酷いと言うけど子供に遠慮させてたって事に気づいてほしい。ダメなものやいいもの体験や経験して覚えていくものだから。それが欠けていた事によって今の旦那の行動につながってる。
ちゃんとした子育てをしてもらえなかった私の事ばかり責められても困る。
子供は選べない。
だからこそ自分の子供にはさみしい思いはさせたくない。
子供らしく育って欲しい。
だから無駄遣いとは思わない